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2005年12月31日 (土)

クモの死

クモの死

きれいな網を張るくも、ずっと風呂場にいた

2005年12月30日 (金)

渋滞

渋滞

渋滞

久留米市東町付近

2005年12月29日 (木)

マリオットの盲点

あれは八月だった。

所属誌「九州俳句」を読んでいたら、国歌君が代についての詳細な研究文が載っていた。ところが最も肝腎と思われる、乙骨太郎乙の一件が抜け落ちているではないか。明治初期外国から人が来て、接待するには国歌がいる。それで何を日本の歌にするか、ごちゃごちゃと気を揉んでいたとき、旧幕臣・乙骨太郎乙という、まるで陰にして陰のおまじないをかけられたような名前をしょった人が「君が代がいい」と進言して、薩摩藩や長州藩の偉い人たちから「それはいい」と賛同を得、これに決まったのだ。なぜこの事実がこんなに詳細な研究論文から抜け落ちるのだろうか。

と思ったとたん、気になって仕方なくなる。私は数年前に司馬遼太郎の随筆で読んで、そのころ「連句誌れぎおん」と九俳に連載していた「暦論」という題の随想に書いた覚えがあった。天下の司馬遼が書いているのだから、周知の事実だろうと思い込んでいたのに、どうやらそれは意外な盲点だったようなのだ。

ワープロが壊れ数年前から使い始めたパソコンで「乙骨太郎乙」を検索すると、二十数件の項目が出てきた。その四番目ぐらいにあった「マリオットの盲点」というブログに妙に心ひかれ、私が引用した司馬の本はいったい何だったのか(うかつにも記録しておらず)、また乙骨太郎乙は本当はどう読むのかを尋ねた。すると、ブログ管理者のアッサムさんは回答を下さった。その答えがまた微妙に違っていて(興味をもたれたかたは、マリオットの盲点を開いてみてください。http://assam226.tea-nifty.com/mariotte/の八月十一日付け辺りです。)、ふしぎと導かれるようなかんじでなんと「沼津明治史料館」まで実際に訪ねてしまったのが、その二ヵ月後の十月であった。

ことばでうまく説明できない。感じてもらうしかない。沼津とはどこで何がある処なのか。それさえよくしらぬまま、行かねばという気持ちが強く興ったとしかいいようがない。つづく

参照『海軍七十年史談』:http://tvarjanka.la.coocan.jp/TVARJANKA/KIMIGAYO/kimigayo.html

2005年12月27日 (火)

写楽の朱

写楽の朱

日没後間もないハウスと一番星

北斎の青

北斎の青

早暁の電信柱と三日月

2005年12月26日 (月)

英語の教科書

姉弟のなかで、末子だけは私立中学に通っている。気がつけば「ゆとり教育」のすさまじい破壊力は色んなところに及んでいた。数年前から近所の小学生に英語と俳句を教えているが、カタカナがうまく書けない子が少なからずいることに驚かされる。そして、それよりもっと深刻なのは、勉強する子達の態度にひたむきさが消えつつあることだ。

私は短大で中学英語教師2級免状を取得したが、それは実際の就職ではたいした役には立たなかった。けれども、OLをしていた20代のころから、近所のこどもたちに英語の教科書をサブワークとして教えることはできたし、続けてもきた。断続的ながらこの仕事を長いスパンでやって来て、いまの時代の問題点をもっともよく映し出していると思うのが、公立中の英語の教科書サンシャインと私立中のニュークラウンの違いである。ふたつを並べてみると、ニュークラウンの教科書には内容に社会性があり、思想がある。

よその国の言葉を学ぶということは、ただ単に会話ができるようになるためではないだろう。その言葉のむこうにあるものとつながるためだ。国はいちばんいいものを子達に与えているだろうか。お金とか物ではない、国の未来をたくすのは教育なのだから。

2005年12月24日 (土)

Lost in Translation

結婚して何度目のクリスマスだろう。

ともかく、夫が元気で、子達も元気で、戸畑のおかあさんもお元気でうちの親たちもちょうどいい元気で。それがなによりです。クリスマスおめでとう。

 晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて  葛原妙子

(なんとなく安西均の「晩夏光」を読み返した。 )

このところ毎週数本のDVDを見ている。年末半額セールでもぜんぜん混雑していないのは、この業界の過酷な競争を物語ってるのだろうか。

ずっと見たいと思ってた「時計じかけのオレンジ」を「Eyes Wide  Shut」と一緒に借りたけど、きぶんがわるくなってしまった。なんなんだ。唯一つ、すごいと思ったのは、たしかに第九を作曲した人の作品には極限に達する苦痛や悲しみがある。それはわたしも感ずる。

「Lost in Translation」と「卒業の朝」がとてもよかった。こんな映画をあのアメリカが作れるなんて。失礼ながらとてもびっくりしました。二つとも余韻のある映画でした。

2005年12月23日 (金)

八女公園にて

八女公園にて

八女公園にて

八女公園にて

種田山頭火句碑と小島直記文学碑、矢部村の詩人椎窓猛による小島先生の頌。

2005年12月22日 (木)

冬至

冬至

冬至

冬至

冬至の朝

冬至

雪が降っている。

記憶のなかの一番ふるい雪は、茂平じっちゃんがまだ生きていたころだから、四十六年以上前になるだろうか。わたしは三つか、四つだった。

じっちゃんの背中におんぶされて、病院に連れて行ってもらった。じっちゃんは左手に和傘をさしていたような気がする。強烈に覚えているのは、その位置から見た周りの雪景色である。じっちゃんの背中から見た田園の一面の雪景色。見晴らすという視点の、初めての獲得だった。

今にして想えば、和傘はとても重たくわたしも重く、じっちゃんは相当こたえたろう。

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