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2009年7月14日 (火)

時間をおいて又みるということ

ろいりさん、情報ありがとうございます。
絶唱>>モノクロだったような・・☆・・また見たいものです。
慕情>>こっちも見たいです。 最近はワンコイン(¥500)で昔の映画DVDが並んでいるので、ちょっと探してきます。
映画や書籍は不思議なもので、年齢が変わってみるとまた感想が違いますね。
お姉さんは思春期のど真ん中だったのですね^^slate

映画や書籍は不思議なもので、年齢が変わってみるとまた感想が違いますね。(えめ)

そうですよね。
ときに無性によみたくなる「春にして君を離れ」(これを栗本薫は「春にして君を離れ病」と名づけていた)。ひさびさに読んで、やっと今日さいごまでいきついて、はじめて栗本薫の解説をよみました。恐ろしい、哀しい話である、じぶんはこの話にのめりこんでいた時代があった、せりふまできっちり暗記してたほどに・・と書かれていました。おおあんたもか!とついいいたくなった。(今年なくなったのでしたよね。)
だけども、しかし。
さめた視点もでてきました。
これまでは主人公の主婦の自省に加担して、夫や子供たちが(妻に母に管理されるという意味で)気の毒でたまらなく思えたものですが(それはそう思えるようにクリスティが書いているからなのですが)、今回は、待てよ。っていうか、そうは浜名の焼き蛤的心境。
ことに今回はじめてきづいた、最後ちかく、列車のなかで同室になるロシア貴族のサーシャって女性とのやりとり。ここに丸ごと引用したいほど魅力的な会話です。イギリス人を日本人とおきかえてもいいような。
人の見方が多層的であり、個に執着してない。
やっと読めたのかもしれない。
それにしてもよ、すごいタイミングで栗本薫だったんでぎょっ。
以前買って持っていた文庫は旧版のだったから。
翻訳の中村妙子はおんなじですが。

 「そうは浜名の焼き蛤」ちゃ、「その手は桑名の焼き蛤」じゃなかと?それとも何か一ひねりしたギャグ?だとしたら、恐れ入谷の鬼子母神!
 エメさん同様、私もアメリカン・ニューシネマ衰退後の70年代洋画では、フランス映画のユーモア感覚ととイタリア映画の猥雑さが好きだった。それから小林旭の映画をほとんど(リアルタイムで)見ているとはうらやましい。
 数日前の新聞に、「ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン」DVD4作品セットが紹介されていて、「シェルブールの雨傘」がそのうちの1枚に入ってます~買おうとは思わんけど。

うわ、まちがえてた。なんかへんとはおもったんだけど。↑ろりりーさん?
こばやしあきら。石原ゆうじろ。そのた。そのた。
一回もみたことない。やくざ映画もとらさんも成人映画もとうとう一回もみなかった。映画の広告で、なんとかの顔役、ってのがあって、なんだろうか、この顔役というのは。とずいぶんかんがえたものです。聞く人もいないし、あとで考えようと思ってるうちに大人になった。顔の役。すんげおもそ。親分かいな。

nightこんばんわ
当方の子供時代に、叔父叔母達は青春の真っ只中で、映画はその中でもゆいいつの娯楽だったのでしょう。 
叔父叔母が面倒をみてくれていたので、私はいつもオマケで連れて行ってくれてました。
小林旭氏の映画は本当におもしろかったです。
あの渡り鳥シリーズです。
宍戸錠が拳銃をくるくる回す場面、荒野に立つ旭さん、今思うと、荒唐無稽なお話だったのでしょうね。
今調べてみましたら、監督=斉藤武市、助監督=神代辰巳の両巨匠でした。
裕次郎氏のも同時期に見ていたはずですが、旭氏の映画のほうに強く印象を残しています。
シリーズとは別かもだけど、サーカスの場面で球体の中でオートバイが縦横してハラハラするものがありました☆slate

2009年7月13日 (月)

日本農業新聞

があったので、なつかしくて一枚。ぴんぼけですが。

写真は田門くんという名の田んぼ用の小さな水門、一定の水量になったら、電動で感知して調整してくれるらしい。いそがしい二枚舌、じゃなかった、ほれ、なんていう?兼業農家!その兼業のサラリーマン農民に、わざわざ会社を休んでまで田まわりしなくてもいいようにと、開発されたものらしい。んで、最大の欠点は無線ではないので、草刈のとき、ひっかかる。
なんてこったい。

ヌーとしまうま

本日夕方のRKB番組「世界遺産」でヌー大移動が放送されてた。
つい先日まで、ヌーの群れを横切って歩いていた自分が夢みたいです。
7月はアフリカのヌーが一斉に走り出す時期。
ヌーの暴走といえば、ライオンキングでシンバの父ムファサの死因。
幸い、まだヌーは走っていませんでしたが、シマウマの群れは乙の直前を横切ってゆきました。
自然と一体化したひとときでした。
日本ではなかなか経験できないことです。

ぬうは知らないけど、縞馬はしってます。さすがに。
ちょうど前田師から付け句で縞馬の印象的な句をいただいたのでつけたばっかり。

  ここから先は標識もなく     有杜
縞馬の縞はジュラ紀の神業か  圭衛子
  胸が苦しいときの葉たばこ   恭子

つけすじがみえません、自分でつけていながら。

乙さん。ご無事にお帰りになったようですね。
以前、テレビでヌーの大移動の壮絶なドキュメンタリー番組を見たことがあります。母親とはぐれた子どものヌーの姿が印象的でした。

壮大な大地を走るシマウマの群れ。
画像でしか知りません。
強烈な印象なのでしょうね。
アフリカの大地はどんな匂いがするのだろう。

ヌー大移動としまうま資料:

http://www.kenyarep-jp.com/newsletter/070711_letter.html

http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/~sun/marahp/mara05.htm

前田師の縞馬句は感覚的で、みょうに残ります。
胸が苦しいときの葉たばこ、これは今にしておもえば、

らんちゃんが蘇州にいったとき、「アヘンのへや」があったよ。
といっていたのをふとおもいだしたから。
それはおかねもち階級のひとたちが、愉しみのために用意したもの。
ものの価値は時代によってかわる。

2009年7月12日 (日)

『絶唱』その他、呂伊利さんの映画うんちく話

  元久留米人  梶原呂伊利(神津呂伊利)

ぼんさんが若大将シリーズ3本立て見たというのは、今の文化街の地名の由来となった、「文化会堂」ではないでしょうか?ちなみに、封切り後ちょっと間をおいて安い値段で上映するのが2番館、ぼんさんが小6の頃なら、「文化会堂」は更にそれより後に上映する邦画の3番館で、3本立てだった。これと同じ場所にあった「名画座」(だったかな?)が2番館、わが「ロイリー」が洋画の2番館だった(時々試行錯誤して邦画や成人映画を上映した時期もある)けど、どちらも通常は2本立てでした。
 若大将シリーズは封切りの時、怪獣映画と2本立てのこともあり、私が最初に見たのは小5の時の「ハワイの若大将」で、お目当ては怪獣映画「マタンゴ」だったが、普通の怪獣映画と違ってあまりに気色悪く、悪夢を見るほど。大学生の頃に、星新一らSF作家が原案を書いており、今で言うカルト映画化してると知りました。で、この時は姉弟3人で見に行ったけど、帰ってきた私が「若大将のほうが面白かったね」というと、姉が「いやらしか」と言って笑ったのを覚えてます。青大将がスミちゃんを襲うシーンがあったからでしょう。子供が素直に楽しんでるのに~姉はその頃中2だったから、あーいうシーンの意味がわかったつか。

 「ある愛の詩」や小椋佳のごつふーたらぬるかつは好かん、という点では奇しくも3人意見が一致、でも「さらば青春」は例外という点ではかささぎさんと意見が一致、高校卒業した頃流行ったので、よくギター弾いて歌ってました、自分の家で一人、聴く者もいないのに。あ~、暗い青春の1ページじゃった。
 恥ずかしながら舟木一夫もファンでした。それも紅白で「絶唱」を聴いてから(作詞は西条八十、この人もいろいろやっとるのお↓)。映画は文化会堂で見逃し(数年前、名画座最後の砦、池袋文芸坐でやっと見た)、高1の時、古本屋で原作見つけて読んだら、何か印象が違う。寄生地主制度に疑問を持ち、「アカ」の思想にかぶれたと勘当される息子、アプレゲール(戦後派)なんて言葉もこれで覚えたし。ここで正しい日本語について、戦後生まれは戦後派ではないのに、最近は間違って使われてることが多いようですね。あ、それで原作者大江賢次とは、かささぎさんとそういうところで縁があるのか。私が買ったのは初版本のようで、今は希少価値あり?しかし当時の高校生で、大江健三郎より先に大江賢次を読んだとは、イヤハヤ何とも言えん。
 エメさんが勘違いしたのも無理はない、「絶唱」では和泉雅子が相手役だったのに、悲恋もの第2弾の「夕笛」では松原智恵子に変わったからでしょう。「絶唱」の最初の映画化は、マイトガイ・渡り鳥以前の小林旭・浅丘ルリ子が主演で、モノクロ映画です。これも20年以上前に文芸坐で見ました。百恵ちゃんのは見とらん。テレビドラマ化も何回かされてます。「慕情」は、手元にあるキネマ旬報社刊の「アメリカ映画作品全集」によると1955年に初公開、その10年後ぐらいに再公開しています。これも東京のどっかの名画座で見た。そして香港行った時、慕情のシーンに出てくる海辺にも行きました。映画公開後にナット・キング・コールが主題歌を歌いヒット、私も1度カラオケで歌ったことあり。
 あ~、またなごなった、

     以上、投稿。

西條八十:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A2%9D%E5%85%AB%E5%8D%81

「蘇州夜曲」も、このひとの書いたものだったんだね。作曲は服部良一。
誕生日にむすこが中古のcdシングル『ジュピター』平原綾香のをくれた。
そのなかにあった。ゆったりと川をくだるときのような、たゆたひの。
ジュピターと蘇州夜曲は「みむねに」ということばでつながれていた。

服部良一は「夜のプラットホーム」、アストロリコのcdアルバムで知った。

「proof of my life」「眉山」

今週みた映画。(「昼顔」のほかに)

1 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」 ジョンマッデン監督

キャサリンという名の主人公、27歳。
アンソニーホプキンスが父親の天才数学者役。
狂った父と暮らしながらキャサリンは定理の証明にのめりこむ。
「proof of my life」、ジェイクギレンホールと、グウィネスパルトロウ。
ぐうぃねすは綺麗なのかぶすなのかわからん魅力があります。
「恋に落ちたシェイクスピア」をみてからすきになった。奥深い。
親子の机周りがかささぎの机くらいすさまじく散らかっていた。
「虚数」という題の音楽が胸をうつ。
おねえさんが現実的な嫌味な役で。
お金は出してほしいけど、ぜってえ一緒には住みたかねえタイプ。

冬のシカゴ。その風景。
とっても寒そうで、でも、いちどいってみたい。
天才数学者がさいごに書いた証明。
俳句の季順によせる感慨のような。ああいいなあ。
傑作だ。
ジェイクギレンホール、やっぱりなんかいい。
「ムーンライトマイル」も「グッドガール」もよかったけど。
アンソニーほぷ金子、この役最高によかった。
親子にして師弟という関係。
下から上を見上げるということ、また上から下をみるということ。
いつのまにかそれがいれかわってることのかなしさ。


でも、この映画でのいちばんの魅力は、編集だろうとおもった。
場面ごとに父親が生きていたり死んでいたりする。時間軸がぶれる。
え、どういうことだと思う間もない。それ、魅力。

2  「眉山」  犬童一心監督

泣けた。いい映画だった。つくりものの世界の。
でだしはとろかった。くさかった。
松嶋菜々子もすきだし、母親役の宮本信子はそのむかし、石立鉄男と出ていたテレビドラマのころからのファンです。
「おひかえなすって」じゃなかった「おひかえあそばせ」だったか、そんな題のラブコメがあっていて、複数の女優さんのなかでこの人が一番好きだった。
そののちブレイクしただんなさんの伊丹監督作品は苦手。
(独特の毒気があり、それがたまらなく下品に思えるから。)
この映画のお龍さんはとっても粋でいなせで啖呵がきれる。
すじが一本ビシッと通っていて、ほれぼれするほどいいおんな。
惚れた男にもらった命をいとおしんで、だいじに守り育てて。

少女時代を演じた娘さんのひたむきなまなざしがとってもよかった。
「一瞥」がこころにくっきりと残る、残せる。そんな映画でした。

夏八木勲。
この人ですが。いいですねえ。
かささぎは名古屋の原しょう子さんの個人俳句誌『禁猟区』に二年ほど在籍してた。
そこで大分の貞永まことを知ったんですけれども、原さんが貞永まことは夏八木勲に似ている。と書かれてたのを思い出しました。
原しょう子さんもきっと貞永まことの死については一文を書きたかったろう。
と時々おもうことがあります。
きっとどこかに書いてらっしゃるのかもしれません。よみたい。

2009年7月11日 (土)

雨籠りに昔の映画ばなしをしよう。

 『冒険者たち』はけっこうファンが多い。これをパクった日本映画もいくつかあって、1981年の『冒険者カミカゼ』は軍艦島(端島)でロケしてます。そして偶然ながら、最近近くの図書館から『軍艦島1975 模型の国』というドキュメントDVDを借りてきたばかり。
 『ゲッタ・ウェイ』もよかったですね、サム・ペキンパー監督作品は好きなのが多かった。大学に下駄履きで行った時、友達が言った「下駄・ウェイ」という下らないダジャレまで思い出してしまった。
 好きな日本の女優さん、書き忘れてました。八千草薫や小津安二郎作品に出てくる若い頃の香川京子~でも決してマザコンではありません、為念。そして60年代末から70年代前半にかけての梶芽衣子が最高の好みかも。クエンティン・タランティーノにまで影響を与え、「キル・ビル」シリーズではクライマックスで「怨み節」が流れるし。あ、「キル・ビル」って御存じでしょうか、千葉真一や栗山千明などが出ているバイオレンス映画だけど、日本人が馬鹿にしやすい日本映画が、映画の本場ハリウッドなどでいかに評価されているか、日本人よ、もっとわが国の文化を見直せ!と、またこんな時だけ民族主義者になる私であった。

ででで。ではろいりさん。こんど「冒険者たち」と「下駄ウェイ」と「きる・びる」かりてみる。おどろくほどなにもみとらん。おれたちにあすはない。もしらんし、あれもこれもなんもみとらん。ああそういや、「ある愛の詩(うた)」ってのは唯一みにいった気がするが、たいくつなえいがだったよね。

恥ずかしながら、中学生の頃松原智恵子のファンでした。。。。。なーるほど。以下、連句的。
隊員さんに舟木一夫の大ファンがいて、千曲ちかく歌えるといばっていた。そんなに曲があるのかな。
小学六年のころ?五年?バスのなかで、くにこちゃんが舟木一夫の歌「絶唱」をながながと歌っていたのをわすれない。かなしいうたですからしんみりとして、ああいうときにうたううたではないなあとおもった。(→絶唱は、かささぎの旗がときにリンクする大江希望さんのお父上の作品みたいです。よく存じ上げませんが。)
いま、いくらなんでも失礼だと思って、ちゃんと調べてみました。ウィキにあります。はりつけました。
それをよんでいましたら、大江賢次は、ナップに所属してたことがあるようです。はっとしました。石橋貞吉も入っていたからです。(若かりしころの山本健吉のことですが。)
縁というのはほんとに円になっていますねえ。

>「ある愛の詩(うた)」ってのは唯一みにいった気>がするが、たいくつなえいがだったよね

あたしも美しい映画、美しい歌、これはすきくないよ。以外やろ?

たとえば「シクラメンの香り」みたいな歌がきらいでねぇ、退屈でふうたらぬるかつがすかん。

びじゅある的に美しかとは好き。
先日のドヌーブのあの場面すっかりはまっとる。

映画はあまり見たことがなほう。でも、ゲットアウェイやひまわり、ゴッドファザー、ダラスの暑い日、戦場のピアニストは見に行った。

小6の頃かな、兄に無理を行って、若大将シリーズの3本立てを見に連れて行ってもらった。今は1回の入場で1本しか見られないから損したような気分だよね。

足立攝さんからのお便り

昨日、帰宅すると、大分の足立攝さん(あだち・せつさん。俳句誌『樹(たちき)』同人『九州俳句』所属)から、桜島での写真とお便りが届いていました。
ありがとうございました。
攝さんは会がおわったあと、花束を抱いた中山そらんさんを囲んで山下整子、東妙寺らんと姫野の四人を記念に写してくださったのです。

わたしは攝さんについてはあまり知らないのです(攝さんがご夫婦でたちきに入ってみえて間もなくして私はたちきを引いたから)が、父上の足立雅泉さんはよく存じ上げております。植物好きなやさしいお方で、たちきにも花や草や木のことを詳しく調べたエッセイを連載されていたし、本もだされています。独特のスピード感とリズム感ある写生句を得意とするベテラン俳人で、人のお世話の行き届くかたです。

自分が長らくいた俳句誌の同人からお便りをいただいたのは初めてでした。

読んでいましたら、なんだか切ないきもちになりました。
できればもう一度帰ってきてほしいと思っています。
と書かれていたからです。

たちきをひいたのは、物理的にできなくなったからです。
連句を残して俳句誌はやめようとおもいました。
いくつも入っている余裕はなくなったからです。
俳句に経済的な負担はないと思い勝ちですが、実際はちがいます。
交際費がかかります。礼を尽くさねばならぬ時がある。
それができないなら、やめるほかない。ときめたことです。

足立攝さんのお便りは真心のこもったあったかいものでした。
パソコン関連のお仕事をしておられるらしく、俳句も文章も一本すじの通った毅然としたものを出される人です。句歴が浅いのにそこらのベテランよりも「立った句」を書かれますのは、お父上の読者であられたからなのでしょうか。さすが雅泉さんのむすこさんだなと思って遠くから眺めておりました。

ところで、攝さんがお手紙でとりあげてくださった拙句(2008年2月号「樹」より)の解説を読んで、えっと思いました。
その部分をそのまま引きます。

● 熊本の義肢製作所はだかの木    恭子

 はだかの木は「裸木」で冬の季語。葉を落とした木々は寂しげであり、どこか滑稽であり、その滑稽さが人間のようでもある。虚飾を捨て、裸になった人間は哀しいほどに小さい存在なのだ。しかし、その小さな人間には血が流れ、心が通い、熱い魂が震えている。人間の尊厳などと安っぽく語りたくはないが、人間を小さな存在と知った時、本当の尊厳が見えてくるのかもしれない。
 熊本は愛知県などと並んで、義肢製作の先進県。義肢を作る仕事は、実は人間を作る仕事だと、裸木を見ながら思うのである。(足立攝)

攝さん。ありがとう。こんなに深く読んでくださって。
熊本の町を通過中、目に付いた看板をそのまま詠んだ句でした。
季語をとりあわせるのに何をもってくるか。それも実景でありました。
「義肢製作所」という看板のそっけなさとあったかさとリアル感。
それが虚飾をそぎおとした人間のぎりぎりで生きる実在感みたいなものを示唆してくれました。わたしは御手紙を読むまですっかり忘れていましたが、このような句を詠んでいたこと、そしてそれを読んで何か深いところで感じてくださっていたお方がいらっしゃったということを、とてもうれしく、幸せに思います。
(愛知県と並んで熊本は義肢製作の先進県。というのも、初めて知りました。)

まずはネットでお礼、申し上げます。

2009年7月10日 (金)

むかしの映画談義をしようよ!の巻き。

映画談義>>昔の女優さんたちはほんとにきれいで個性的でしたねshinekissmarkshine
当時、ドミニク・サンダ、フェイ・ダナウエイが好きであこがれました。
最近ではレニー・ゼルウィガーさん♪
男優はダニエルクレイグ氏、ケビンスペイシー氏。
みなさんたちはどんな俳優さんが好きですか~drama

 フェイ・ダナウェイ、そういやそういうエロっぽい女優さんもいましたね、で、同じ頃活躍した外国人女優として、キャサリン・ロスとかキャンディス・バーゲンとかを連想し、カトリーヌ・ドヌーブのほうがもっと年上かと思ってたら、そうでもなかった。ちなみに、カトリーヌの英語読みがキャサリンなんですね。あと意外と好きなのがジェーン・バーキン~シャルロット・ゲンズブールの母親。いや、映画ってホントにいいですね。
 男優はどげんでんよか?でも、アラン・ドロンよりジャン・ポール・ベルモント、もちょっと年上のマルチェロ・マストロヤンニ、これじゃ古すぎる?もっと古いぞジャン・ギャバン。最近ではケビン・スペイシーやニコラス・ケイジもいいですね。
 日本では、これまた古くて若い皆さんにはピンとこないでしょうが、宍戸錠・赤木圭一郎といった日活アクション系、その残り香的な原田芳雄に藤竜也。女優は恥ずかしながら、中学生の頃松原智恵子のファンでした。今は風吹ジュンとキョンキョンがいい!若い頃はただのアイドルに過ぎなかったけど、女優としては今が旬という感じ。桃井かおりは無名時代からのファンです。う~ん、若い世代にもいいのはいるが、今イチ決め手に欠ける。これも年のせいじゃろか。おっと田中麗奈がいた。久留米出身だからというわけではなく、映画中心に活動しているところが好感持てる。
 話変わって磐井氏について。九州の王と言いたい八女の人たちの気持ちはわかるけど、クマソ・ハヤト族まで支配していたとは思えんし、せいぜい北九州の大王ということで妥協してください。

 帚木蓬生のペンネームの由来について忘れてました、本人曰く、『源氏物語』の五十四帖を見ていて、雨夜の品定めの「帚木」の巻と、末摘花が出てくる「蓬生」の巻から取ったとのこと、本名は森山成アキラ(外字なので変換できん)と言わっしゃるとですね。

nightこんばんわ
70年代前後はフランス映画やイタリア映画などヨーロッパ映画がすてきでした。
アラン・ドロンやジャン・ギャバン全盛の頃私は彼らと共演していたリノ・ヴァンチュラの大ファンでした(渋~☆)
彼らのシシリアン、冒険者たち、、すてきな大人の映画でした。
アメリカ映画ではやっぱりスティーブ・マックイーンが印象的でした。
アリ・マックグロウと共演のゲッタウエイはかなり良かったです☆

蓬生。よもぎふ。うつくしいことばです。

えめさんもろいりさんもいっぱい俳優さんのおなまえをごぞんじであります。ちゃんとそれで一家言的文章がかけるのもすごいです。
じぶんは人さまがみている映画を見ていなかったことに気づき、いま、むかしの映画を拾って学習中。
きのうはとても大変だ状態であったのにもかかわらず、ひとり深夜に「昼顔」をみました。
いちばん印象にのこるのは、ドヌーヴ演ずる不感症の昼顔ではなく、夫やチンピラでした。夫はさいごに昼顔に夢中になったチンピラに撃たれて車椅子に座るのですが、ドラマの中盤、車椅子が気になる、なぜだろう。と予兆のような独り言をいう場面がさりげなくはさまれています。
そういう伏線は確実に印象にのこります。
んで、これと似た味わいのを去年みました。
「グッド・ガール」という映画。
昼顔とおなじく女の性のこわさを描いて出色。
わたしはスパイダーマンがとっても大好きで、その主役とこの映画の主役をまちがえておりました。
雰囲気がにています。
ジェイク・ギレンホールとトビー・マクガイヤー。

ところで。
西日本新聞朝刊のデスク日記。
ある夏、新製品のビールを社に宣伝にきたキャンペーンガール。新聞社というおとこ所帯にうら若き女性が単身のりこみ一通りの宣伝をおえたあと、さいごに立ち上がりぱっと服をぬいで、水着一枚になった。おとこたちは絶句し気おされた、女性の覚悟を感じ取って。その女性とはデヴュー当時の藤原紀香。・・てな記事。
(物を書くとはこういうことだよね。ウッとうなった。)

こんなことをなんで書いたかといいますと。
連句を公衆の面前でまくことの難しさと恥ずかしさについて書きたかった。
覚悟がたりないといつもかんじているから。
上記のむすめさんのような覚悟です。
つまり、
人前ではだかになる覚悟。

狂いと信仰

五木寛之の『親鸞』、読んでいますが、少しもわくわくしない。
同郷人で母校がおなじひとだし、応援もしていますが、。

これまで、いくどかの「見せ場」がでてきました。

だけども、どうもいまひとつ迫力に欠ける。
予定調和の世界に安住している気がするのです。

かささぎとしては、お行儀がよすぎる気がして面白くない。
もっとあの時代は物狂おしい時代だったはずなんだ。
もっと野性的でもっと野蛮でもっと無常でもっと無情な。

ここぞというときに、主役の救援に奉仕する筆。
もっとよごせ。
きよらかなものはうそっぽい。
ぞくっぽいではないか。

・・・とそんなことをおもっていたら、足元に一冊の本が落ちていた。
手に取れば『〈狂い〉と信仰』町田宗鳳著(PHP新書、1999)。

ぱらぱらとめくれば、こんなことばが目にとまった。

「此道の、第一の面白尽くの芸能なり。物狂の品々多ければ、この一道に得たらん者達は、十方へ渡るべし。繰り返し公案の入るべき嗜みなり。仮令、憑き物の品々、神・仏・生霊・死霊の咎めなどは、その憑き物の体(てい)を学べば、易く、便りあるべし。親に別れ、子を尋ね、夫に捨てられ、妻に後るる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。」
 
 能の謡曲には、さまざまなストーリーがあるのだが、世阿弥は〈物狂い〉の舞いをマスターすれば、あらゆる能を演じることができるといっている。あの世からの怨霊にせよ、この世での深い執念に燃える人間にせよ、その人物の情念が凝縮し〈物狂い〉となるのだが、この世とあの世を貫く掛け橋となっている〈狂い〉の世界にこそ、能の「花」を見ていた世阿弥の眼は深い。

なんでこの本を買っていたのだろうねえ。

と尚もめくれば、おしまいのほうに聖アウグスチヌスの悟りにいたるまでの蛮行が書かれていた。

(これをよみたくてこの本を買ったんだった。わずか数行のために。)

聖なるものへの道へいたるには、ひとたび狂わねばならない。

では、。

親鸞は、なにに狂うのだろう。

まだまだつづく、五木寛之の『親鸞』。
「しんらんのくるひ」に、期待している。

連句的:

聖アウグスティヌスの生涯:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9

此れを読みますと、アウグスティヌスはアルジェリア生まれ。
(ところで、このなかにでてくる「マニ教」とは、こないだポタラ宮展にいったとき、チベット密教の祭祀備品の一つ、マニ車と関連するものだろうか?あのマニぐるまってやつは、なんともいえず、ものぐさでおもしろいものでありますよね。一回まわせば、経文を一回唱えたことになる。と決めたことがすでにかっとんでいる。おもしろいなあ。とおもいました。)

2009年7月 9日 (木)

ちくしとつくしの無意識の使い分け

すいませんが話がワープします。
今『朝日新聞』夕刊、「人生の贈りもの」というコーナーに帚木蓬生氏の連載があり、それによると、一度就職したTBSをやめた後、九大医学部に入り直すため、M高校付属?時習館予備校に模試を受けにきてたんだそうな。で、今のペンネームもこの時に、昔習った教員に気づかれないよう、『源氏物語』にあやかって考え出したとか、そんなことが書いてあります。それがちょうど私の浪人生時代、ということは、どっかですれ違っているのだろうか、当時相手は24歳、当時の6歳違いはええおっちゃんに見えたはずだが。で、そのころ弟の光章氏はどうしていたのだろう?
 ここで、話を「筑紫」の読み方に戻すと、私の祖母がファンだった、佐賀にわかの筑紫美主子の名字は「ちくし」と読むらしい(これを調べるため昔読んだ本を探して時間食った、ネットで調べりゃ早かったのに)。でもどの地図帳見ても「つくし平野」「つくし山地」と書いてある。更にまた日本史関係で調べたら、これにも「筑紫(ツクシ)国造磐井の乱」とルビがふってあるし、これはチクシ族に対するヤマト族の陰謀だ!だから私はヤマト(大和)=日本という考え方は好かん。日本民族という表現なら許せるが大和民族と言うのも好かん。大和魂もまやかしじゃ(本居宣長の「やまと心」にはまだ共鳴できるところがあるが)。私見だが、磐井(八女のみなさんは誰でも御存じですよね)は国造などではなく、大和国の大王に敵対していた筑紫国の大王ではなかろうか、根拠薄弱だが~そう考える歴史家も実際にいる。

夢ごころいかなるものぞ夕暮れは
藻伏し丘伏し獅子狂ひゆく  山中智恵子

(うた、きおくです、ちがってるかもしれません)

あ。それと。ちくしのいわいは、くにのみやつこではなく、九州の王だったと思っているのが八女人です。

昔から、色んな戦いがあってきて、負けたほうは反逆者としてあつかわれ、歴史の年表には1行で終わりますね。
たとえば「528年・磐井の反乱」とだけ★
九州の王の墓がなぜ「八女」にあるのか☆☆☆ 
それはこの地でなければならない「必然性diamond」があったから?
さあみんなで空想してみましょう~(^_-)-☆

             えめ

連句的:「筑紫哲也さんありがとう」
http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-119.html#comment
『チャオ、Ricaです!タンゴバイオリニスト麻場利華の日記』

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