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2017年7月27日 (木)

浄徳寺でお仏具磨き

浄徳寺でお仏具磨き
浄徳寺でお仏具磨き
浄徳寺でお仏具磨き

綺麗だ 草刈りがなかったらねえ

綺麗だ   草刈りがなかったらねえ

まちさん、みやざきさんひっこしんさると

まちさん、みやざきさんひっこしんさると

2017年7月26日 (水)

ABCCについてのかささぎメモ

以下、今朝集めた。

引用元「ABCCは何をしたか」

上記のページを真っ先にみた。

すると、久留米のいとこの家で見せてもらったNHK「心の時代」に出ておられた近藤紘子さんのお名前、発見す。

少女時代のお写真、強く印象にのこる。


ちらかしてて、すみません。後姿は叔母、
です。目が悪いものですから。

近藤さんのお父上。


牧師さんでした。お名前、失念。

この日のブログ記事、あるはずですが。

テレビ画像写真、アップしてもいいかな。
ったって、載せてしまいましたが。





〓ABCCとは

原爆傷害調査委員会(ABCC)は、1946年にハリー・S・トルーマン大統領による大統領指令(a presidential directive)によって設立された委任組織(a commission)である。この指令はNAS-NRCに出され広島と長崎における原爆生存者の放射線の後期影響(the late effects)を調査するものだった。純粋に科学的研究と考究の目的で設立されたものであったため、医学的治療を提供するものではなかった。またアメリカによって強力に支えられていたため、ABCCはほとんどの原爆生存者や日本人から一様に信頼されていなかった。ほぼ30年間の活動の後、1975年に解体された。』


〓ひじやまの位置



「 広島市内にある比治山(ひじやま)は、1946年6月19日米国戦略爆撃調査団が、「太平洋編」の中のいわば特別版として大統領トルーマンに提出した「米国戦略爆撃調査団報告−広島と長崎への原爆の効果」の中で次のように描写されている場所である。(なお、この6月19日版をトルーマンがチェックした後、最終完成版が6月30日に提出されている。)

『 広島市は太田川の大きな扇状三角州の上にある。太田川の7つの川口は広島市を6つの島に分け、ちょうど指を広げたような形で瀬戸内海に面する広島湾に臨んでいる。
  
  太田川の7つの川は、広島市に最適な防火帯を装備させることになった。広島市全体は平坦で、海抜より若干高い位置にある。主要な橋は81もあり、高度に発達した橋梁システムが島々を連絡している。市の東側には腎臓の形に似た形の丘があり、長さは1/2マイル(約800m)で高さは221フィート(約66m)である。

  この丘は、原爆落下地点から東反対側の建造物に対してちょうど格好の防御帯となった。その他の地域は原爆の拡散するエネルギーのため一様に被爆した。』
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/U.%20S._Strategic_Bombing_Survey/01.htm>)

 『市の東側にある腎臓の形に似た丘』というのが比治山のことである。この記述にもあるとおり、比治山は原爆投下当時一種の防禦壁となって、その東側の地域を、比治山ができうる限り守った。

2017年7月25日 (火)

ちょっと長いが、乙四郎博士の日食コメント

コメント
武寧王陵と出雲大社と伊勢神宮・内宮は一直線上に並ぶらしい。
また、武寧王陵と難波宮跡と石上神宮も一直線上に並ぶらしい。
(↓)
投稿: インディー乙 | 2013年6月 1日 (土) 20時38分
コウヤマキは秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまの「お印」です。
皇室医務主管を兼ねておられたK・国立精神神経センター総長にお仕えしていた頃、悠仁さまがお生まれになられました。その際、センター敷地にコウヤマキを記念植樹しました。枯らすようなことがあってはいけませんので、コウヤマキについてはかなり勉強しました。
投稿: 乙四郎 | 2013年6月 1日 (土) 23時14分
乙四郎先生。
前から気になっているのですが、一直線上に並ぶとは、それはどういう意味があるのでしょう。
はじめてそういうのをみたのは、吉野裕子の隠された神々という題の本で、三十代半ばころでした。
たしか、熱田神宮とお伊勢さんと出雲大社がおなじ高さにあるというのでした。・・いやそんなはずはないよね。そうじゃなくて、同じ緯度で一番の東の端にある熱田神宮と一番西にある出雲大社がどうのとあったと記憶していて、あの本はわたしにとって大きな影響をもった本だったので、ボロボロになるまで何度も眼を通したのですが、とくに北斗七星のところ、芭蕉の有明の主水に酒屋作らせて。を深く考えるのに。
もう一度久しぶりに読もうと探せど、これまた発掘しなければ見つからず、あきらめて、ネットで探していると、思いもかけぬ吉野先生の批判記事を見たりしまして。だけど、その逆もたくさん。たとえば、ここ☟。
投稿: かささぎ | 2013年6月 2日 (日) 20時36分
上記引用ブログ、面白いです。
幽霊のはなしもですが、吉野裕子先生とじっさいにお会いになられて、江戸弁というかとってもきれいな東京弁を聞かれている話。
それと、雅楽の話も面白かった。東儀家のこととか楽屋話とか。
じつは、この一直線にならぶ神宮であちこち検索かけていたら、色々であったのです。これと。必読かもしれんなあ。と思い、貼り付けておきます。☟
投稿: かささぎ | 2013年6月 2日 (日) 20時43分
ほかに、このブログを推奨いたします。
すごいです。☟
まったく、おっしゃるとおり。
かがなべて。
かがり火をたくさん並べたように感じます、それが背景にすーっと浮かぶのです。
かささぎは、このみひたきの翁とヤマトタケルの唱和(はじめての連歌とされる)を知ったのは、石橋秀野の俳句からでした。
かがなへて、で始まる句を秀野が詠んでいたのですよね。ヤマトは天理出身の俳人です、やまとことばがたくさん使われていて、わたしは石橋秀野と石橋貞吉(山本健吉)によって豊穣な日本語の世界を開かれたようにおもう。
もちろん、そのおなじころに、連句や前田圭衛子師とあったこともあります。安西均先生へ詩の投稿をしていた、そして先生が亡くなられる直前に、連句なさっていることを知ったのでした。幾重にも偶然が重なっていて、これは、書くのもめんどうなくらいで。
投稿: かささぎ | 2013年6月 2日 (日) 20時56分
連句的に書いておきたい。
吉野裕子本で、こういうことを知りました。
古代、カカというのは、へびのことであった。
かがみはへびの目。瞬きをしないへびの目。
み火焼のおきなは火の番をする人。
(問ひ) 新治筑波(にひばり・つくば)を過ぎて
 幾夜(いくよ)か寝つる
(返し) かがなべて夜(よ)には九夜(ここのよ)
日には十日(とをか)を
原爆忌の俳句を考えているのですが、このはるかな昔と、いまのウランのあかりの世と、裏と表がひっくり返ったのかなあ。
投稿: かささぎ | 2013年6月 2日 (日) 21時13分
滞在時間 5分12秒 閲覧ページ数 3ページ 参照元 武寧王 環頭太刀
投稿: かささぎ | 2014年9月30日 (火) 12時55分
武寧王は62歳で没したのですね。同い年です。
癸卯年5月7日に崩御。
グレゴリオ暦では西暦523年6月7日。
百首和歌の日付は癸卯年卯月25日で、グレゴリオ暦では西暦1543年6月7日です。
この一致性を発見して以来、武寧王が気がかりな存在になっています。
また、新しい発見がありました。
武寧王の没年の前年の西暦522年6月10日に皆既日食。北九州で見れる日食の規模としては、西暦247年3月24日以来の規模で、これ以降も数世紀間はありません。
西暦247年の日食は「ヒミコの日食」(最近、CMでヒミコが日食の中、スマホを手にする場面が描かれていました)で、北九州は9割食で暗くなったが畿内では部分食。
『魏志倭人伝』に正始八年(247 年)魏使が邪馬台国にやってきて間もなく女王卑弥呼が没したとありますが、卑弥呼の死と日食との関係性が疑われます。シャーマンとしての霊力の衰えを疑われての失脚でしょう。
武寧王の死も、ヤマトの磐井侵攻(527年)も、日食と関連しているのかも。
投稿: 乙四郎 | 2017年7月23日 (日) 00時39分
古代の日食については天文ソフトを使って計算することができ、北九州では暗くなったが畿内では部分食なのでインパクトはなかったということですが、地球の自転速度は一定ではなく、わずかな誤差で畿内でも暗くなった可能性があるとのこと。
247年3月24日の夕方に始まった日食は、太陽が欠けながら沈み、最大限に瘠せ細り(18時25分)暗黒を迎えた直後(18時30分)に没した、と劇的な見え方であったのが北九州でした。韓国や中国ではもっと早い時間に観測され、何事かと魏使がシャーマンとして名高い卑弥呼に伺いを立てにわざわざやってくるのはあり得ることです。
2012年の国立天文学報に、247年の日食の見え方についての分析が載っていました。さすが天文学の専門家、247年の日食について三國志巻十四(『正始八年春二月朔 日有蝕之』)と晋書巻十二(『正始八年二月庚午朔 日有蝕之』)に観察記録があるのを考慮に入れて自転誤差を推定し、この論文では、この日食は北九州で深食~皆既日食であった可能性を結論づけています。
昨夜、NHKで邪馬台国の畿内説と九州説のそれぞれの論拠解説をしていましたが、日食の論拠は示されませんでした。
次の522年の日食は暗闇が6分も続いた皆既日食が全国的に観測され、日本史上、目立たぬはずのない日食でした。ところが、日本最古の日食の記録は 628年4月10日の記録からで、日本最古の皆既日食の記録は975年8月10日です。6分もの暗闇の訪れの記録が記紀に一行もないのは、この頃の出来事が、日本の歴史の記録からごっそりと消されてしまったことの証拠ではないだろうか。日食の不吉にかこつけて武寧王を失脚させ、後ろ盾を失った磐井への侵攻がそれに続き、この辺の日本史が改竄されたのでは。磐井の乱については日本書紀に反乱として描かれていますが、『筑後国風土記』によると「官軍が急に攻めてきた」ようで、反乱ではなさそうです。
投稿: 乙四郎 | 2017年7月23日 (日) 09時36分
うわ。わわわ。
ひさびさ炸裂、乙四郎砲。すげえ。
中国の人たちに選挙権がなかったなんて、わたしははずかしながら知らなかった。ダーシューさんブログをよんで、初めて知り、そうだったのかと。
まことに小さな金魚鉢のなかで暮らしておるなあと反省させられます。
ことし与謝野馨さんが亡くなり、117代文部大臣のころの
全古墳を学術調査すべし。という、きわめてまっとうで科学的な彼の意見を、もう一度振り返ってみてくれる人がいないかなあと期待していましたが、皆無でしたねえ。知らないあいだに、おそろしくきゅうくつな国になっているような気がしてきた。
検索かけても出ない・・・
投稿: かささぎ | 2017年7月23日 (日) 18時35分

2017年7月24日 (月)

原爆忌近づくABCCの友、その他まとめ記事

小学生時代の同級生が再々就職をした。

コメントくれたので、写します。

どんなときも
どんなときも
ぼくがぼくらしくあるために
すきなものはすきとお。ヤマザキのまるごとバナナを作る工場を
先日テレビで見ました。
丁寧に作っておられますねえ。
ロット仕事、規格品への愛情!
投稿: かささぎ | 2017年7月12日 (水) 18時01分
ヤマザキのパンはどれもおいしいよね!
投稿: さくら | 2017年7月13日 (木) 10時29分
はい。
しかーし。ダブルソフトは好かんとです。
フランス人も同意見だった
耳までやらかいとは!
投稿: かささぎ | 2017年7月13日 (木) 15時15分
このイチゴ味、だい好きです。
小袋でたくさん入ってるこれ、コスモスで買います。今年は原爆忌俳句、出せませんでした、、。
投稿: えめ | 2017年7月13日 (木) 20時42分
えめさん、
量は大事ですね。
ミニサイズはちょうどよい。
人さまにもあげられるしね。原爆忌、私もできませんでした。
ふたみちゃんのこころを振り返っています。
中学、高校と一緒にすごした友達、定年になってすぐ、
がんになりなくなりました。
やめ市役所での最後の仕事のひとつが、星野村の原爆忌のお世話だったのではなかったか?
さいごに話したのも、そのことだったように思う。
なにか句みたいなものでも、よんで遺してもらえばよかった。
投稿: かささぎ | 2017年7月13日 (木) 22時00分
原爆の仕事してるのに原爆忌の俳句を作らねばという着想及ばず。
今年は、8月6日は広島に、9日は長崎にいます。
投稿: 乙四郎 | 2017年7月16日 (日) 21時45分
シェー!アクセス解析、時に古いコメントを読み返してて、
はっと気づかされることがあります。
乙四郎先生
日本はアメリカから本当に戻ってきたのだろうか?
投稿: かささぎ | 2017年7月18日 (火) 05時20分
放影研(旧ABCC)の建物の建築資材はすべてアメリカから運ばれてきたもので、トイレなど、内装もアメリカ式のまま、いまだに使っています。なんと、2年くらいまで、配電もアメリカと同じ115ボルトだったので日本製品を使う場合には変圧器が必要。老朽改修の際、やっと100ボルトになりました。浮いた変圧器が、重石としてあちこちで活躍しています。
ここにいる限り、アメリカにいる感覚。「ヒロシマの中のアメリカ」という演題での講演を予定しており、講演原稿を作成中です。
投稿: 乙四郎 | 2017年7月22日 (土) 22時56分
乙四郎先生、
ほうえいけん ではどんな仕事をされておられるだろうか、
と、思っていました。
変圧器、そうでしたか。日本だけなのかな、百ボルト。
わたしの梱包するスチコンには必ず減圧弁をつけます。
スケール除去には軟水忌、いや軟水器を。おおっと、これは水ですが。
その講演、原爆忌用ですか。
すみましたら原稿転載させてもらえるとありがたし。

一応、これよんだからね。〓
みなさんもよむべな。
引用
(記者のコメント)現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し2万人を2年に1度健康診断する。8万人の被爆二世、そして2800人の胎内被爆者の調査も継続中だ。放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれる。

2017年7月23日 (日)

川端茅舎と川端龍子



先週、日曜美術館で川端龍子、みました。
俳人茅舎のお兄様です。
なにか弟のことに触れてくれないかと思ってみていたのですが、言及はありませんでした。

龍子の「草の実」。
ここ。

茅舎の句について書いたばかりだったから、
不思議だった。
水月さんの堅いブログに。
寂光土について。

かささぎ近影

かささぎ近影


今朝の一枚。
暑さにクチバシ開けっ放し。

2017年7月22日 (土)

あら、松下幸之助さんのじゃないのかな。

あら、松下幸之助さんのじゃないのかな。

溶ける時間差

溶ける時間差


はじめ甘いところが溶け、
薄くて甘くない氷が残る。
なぜだよ。

«熱中すれば、苦ではなくなる。

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